皆さん、こんにちは。mitsukiです。
「お前の目は節穴か!」
漫画の世界でこんなセリフよく見かけますよね。
実際に言っている人はいまだ見たことがありませんが…
さて、ここで使われている節穴。
一体何のことでしょうか?
今回はこの節穴について考えてみたいと思います。
節穴とは
わかりきってることですが、この節穴は良い意味ではありません。
そもそも節穴が何を指しているかといえば、節の穴。
節について長々と説明するよりも、見たら一発でわかります。
節とはコレ。
大工さんでなくとも建築に携わっていなくとも、皆さん一度は見たことがあると思います。
節とは、もとは木の枝だった部分です。
ではこの節がなぜ嫌われているか?
それはとても硬いから。
加工が大変
鑑賞用であれば話は別ですが、建築における木材は加工が前提です。
土台にしろ柱にしろ梁にしろ、すべて他の木材とつなげる必要があります。
家具などで使われる一枚板でも同じことですね。
その加工の際、木材が尋常でなく硬かったら大工さんはどう思うでしょうか。
この木材いつものと違う!となります。
話は遡りますが私は職業訓練に通っていましたので、この加工の辛さはよくわかります。
素人の私を基準に考えると、通常の105角(105mm四方の木材)を切るのに1分ほどかかるとして、運悪く節ありの切断が必要になった場合、通常の3倍以上はかかっていた気がします。
ざっくり言って3分です。105ミリメートルなので1分あたり35ミリ。
1秒あたり0.5ミリしか進まない計算です。
結構な硬さだと思いませんか。
ノコギリを持ってしてもこの遅さです。
本当に進まないんです、ノコギリが。
そんな加工が大変な節あり木材。
ほーん、と思っているお施主さんも残念ながら無関係ではないのです。
節が木材の等級を決める
家を建てようと思ったら、その骨格を形成する構造体が必要です。
柱や梁のことですね。
日本の住宅はだいたい木造なので、この構造体もだいたい木材で出来ています。(だいぶハショリました。笑)
その際に、木材にどれだけ節が含まれているかで値段が大きく変わってくるのです。
等級はこんな感じ。
一等材 ・・・大き目の節が多数入っているもの。
小節 ・・・直径25mm以下の節が少し入っているもの。
上小節 ・・・直径10mm以下の節が少し入っているもの。
無地 ・・・節のまったく無い物です。
一等材とついてますが、下にいくほど高級な木材となります。
ここからわかるように、節は見た目的に減点ポイントだと捉えられています。
節がなければないほど美しい。そんな考え方です。
もちろん構造的には全く問題ないので、あくまで見た目の問題です。
なので柱や土台に節の多い木材を使っていればその分値段は上がりますし、見えないんなら関係ねえ!と開き直れば費用を抑えることができます。
この「見えないんなら~」というのがミソですね。
最近では柱の見える壁も少なくなってきたので、ここにお金をかけるお施主さんは減りました。いわゆる大壁工法と呼ばれる壁を指します。洋室によく使われている工法です。
反対に西洋文化の流入とともに姿を減らしていったものがあります。和室です。
ひと昔前では和室がどこの家庭にもあり、柱の側面がむき出しになるのが普通でした。つまりどの家も柱の美しさにも気を配らざるを得なかったのですね。
このあたり詳しく知りたい方は昔チョロっと書いたので読んで頂ければと思います。
ただ私個人としては節あっても別によくね?って思います。笑
節のもう一つの特徴
だいぶ話が広がってしまいました。
手軽に書けそうだと思い付いたテーマだったので思わぬ苦戦です。笑
最後の説明になるのでもう少しだけ辛抱してください。
さて、節にはもう一つ大きな特徴があります。
というか欠点です。
何かといえば、節は落ちるんです。
これも写真を見れば一発ですね。
見ていただいてお分かりのように、節だった部分が穴になっています。
ポロって落ちます。お風呂の栓みたいにスポッ!といきます。
もうお分かりかと思いますが、
これが節穴なんです!
もう説明は不要ですね。笑
冒頭からひたすら節の説明になってしまいました。
長かったですがついにこの到達点に来ることが出来ました。
すべてはここにつながっていたんですね~
まとめ
さて節穴が良いものではなく、大工さん的には忌むべき存在だということがわかりました。
最後の最後にまとめに入ると、皆さんもうお分かりのように「お前の目は節穴か!」にはこんな意味が込められています。
お前目ン玉付いてんのか!?ああん!?
言ってしまえば暴言です。
言われた相手は深く傷付くこと請け合いなのでよっぽどのことが無い限りはご使用は控えましょう。
それにしても昔の大工さんはヒドい台詞を思い付くものですね…
そういえば昔これが決め台詞だったドラマがあったな~。笑
おわりに
いつもご覧になっていだたきありがとうございます。
漠然と考えてるんですが、建築ってホント可能性に溢れてると思うんですよ。
いま社会的に大きな問題も、例えば孤独死問題とかコンパクトシティとか、建築に関わる人達が積極的に解決策を提示していけばマシになるんじゃないかって思うことが多いです。
でも実際に働いている私たちは日々の業務に追われてばかり。
自身の生活もあるのでお金にならないことなんて微塵もする余裕がないのが今の建築業界です。
かたや業界の主流はこれまで通り、お金を持っているお客さんにスリ寄っては「さあ建てましょう!そしてお金ください!」の繰り返しです。
そしてまたいらない建物が増えていく感じ…
総じてざっくり言うと、いまのやり方の良くないところはガワだけ作ってあとは知らんぷりっていうスタイルだと思います。ガワっていうのはつまりは箱モノのこと。
ただ、そうしたある意味無責任な建て方が許されたのも、お金があり余ってたひと昔前の話だと思うんです。
少し街に出ると、使われなくなって朽ち果てたままの建物がどれだけあることでしょう。それでもまだ建てようとします。国も補助金使ってでも家建ててくれ状態です。
どうすればいいのでしょう。
間違っていると思うのは私だけなのでしょうか。
個人的には生活レベルで、継続的に、日常的にまちづくりに関わりたいと思ってますがそんなこと社会が許してくれない状況です。
なんだかな~世知辛いな~
確かに理想ばかり言っていても当の自分が生活できなかったら元も子もないのは百も承知なんですけどね。
それでも、どうにかしたいな~ って思うことばかりです。
答えはしばらく出そうにありません。汗
それでは。