皆さん、こんにちは。mitsukiです。
地方は死にかけています。
どこも同じような代わり映えのない景色に、大した特色のない地方物産。
生活についても、都会の流行りものを後追いで模倣したような下位互換の生活になりつつありますね。
若者は都会に憧れ流出し、地方は過疎化。
交通の便が発達すればするほど都会に人が吸い取られていきます。
なんでこんなことになってしまったのか。
要因は数あれど、その一因は「車社会」にあると考えています。
今日はそんな車社会について本気出して考えてみました。
地方 = 車社会
現代の地方は、ほぼすべてこの図式が成り立っています。
車がないと買い物ができない。
車がないと仕事にも行けやしない。
とどのつまり車がないと生きていけない。
地方で普通の生活をするにはテレビより洗濯機より何より、車が必需品なのです。まさにマストアイテム。
地方でそれなりの暮らしを実現しようとしたら1家に1台ではなく1人1台なんです。
現代の地方は車社会が過度に進んだ状態であると言えるでしょう。
しかし、その結果どうなったか。
公共交通機関が死にました。
地方は簡単には抜け出せない「車社会」に片足を突っ込んだのです。
都会 = 徒歩社会
翻って人や若者が集まる都会はどうでしょう。
基本的に車を持っている人は少数派です。
なぜ持たないかと言えば、持つ必要がないからです。
理由は自分の足でどこまでも行けてしまうから。
仕事も、学校も、遊びも。
都会に住んでいる方は身をもって体験していると思いますが、同じ首都圏内であれば蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄道網をつたって、どこに住んでてもどこにでも行けちゃいます。
公共交通機関が維持されているからこそ、このような芸当が可能なんです。
電車・バスの生活に不便がないので、よっぽどのことが無い限り車を持つという発想にもなりません。
つまり都会の人々は歩きます。
この地に足着いた「歩く」という行為が、街の活性化にはとても重要だったんです。
地方衰退のテンプレ
ここで地方衰退の代表格であるシャッター街とセットで語られる郊外のイオンモールについて改めて考えてみます。
イオンモールは確かに清潔感があり、安くて品揃えも良いので人は集まるかもしれません。
事実、人々は便利さを求めて集まりました。
しかしその結果人の流れは変わり、それまで人々の買い物の主戦場だった地域の商店街から人は消え、閑古鳥が鳴くシャッター街に成り下がりました。
ここで気付いてほしいポイントは、本来、郊外に人は集まらないということです。
(野外フェスなんかは例外です。あくまで日常的な話。笑)
昔ながらの商店街が商店街たり得たのは、人の流れがそこにあったからに他なりません。
それは交通の要所があったり、大勢の人が生活していたり、理由は様々ですが商店街が出来上がる以前、そこには人が集まる空間があったはずです。
その空間から副次的に発生した商店街なんです。順番が大事。
では、郊外のイオンモールはどうでしょう。
それまで人の流れがなかったところに、誰もが足を運びたくなるような大型商業施設を建てました。
一見すると人の流れが街から郊外に移るだけに思えるでしょうが、そうは問屋が卸しません。
この両者では、決定的に違う点があります。
それは誰もが気軽には行けないという点です。
要は歩いて行けない。
郊外の大型店舗に行ける足を持っているのは、基本的にはマイカーを所持している一部の大人だけです。
それ以外の、特に車を持っていない若者は行く手立てがないですよね。
イオンモールが「都市計画ごと変えてやる!」ぐらいの気概を持っていればまだ救いもありますが、営利目的の彼らにそんな義務感はありません。
地方の元気がなくなって、自社の利益が減少すれば即刻撤退です。
最後に残ったのは劣化が進んだハリボテの商業テナントと寂れたシャッター街だけ。もはやテンプレです。
同時に車なしでは生活できない社会 = 「車社会」の完成です。
若者は都会へ
さて、こうして車社会が出来上がると生きづらくなってくる人々が出てきます。
その代表格が「若者」です。
若者が減っていると地方都市は嘆いていますが、「よく言うわ」と思わざるをえません。
行く(遊ぶ)場所がないから若者が減っているんです。
帰省してもつまらなそうだから若者が戻ってこないんです。
①歩いて行ける廃れた商店街
②人里離れた大型商業施設
若者にとって選択肢はこのふたつしかありません。
この絶望しかない二択を突きつけられた結果、車なしでも「生活・仕事・遊び」に困らない都会に身を置いているんです。
特に若い内なんてお金がなくて当たり前ですから、その少ない資金を維持費が馬鹿みたいに高い車に充てるなんてことはしたくありません。そのあたり若者は賢いです。
そう考えると若者に非はありません。
全部大人の都合が招いた結果です。
どげんかせんと衰退に向けまっしぐらですよ。
車社会とにぎわいは水と油
さて、じゃあどうすれば良いのかという点を考えてみます。
建築業界では長らく「にぎわい」について議論されているように思います。
にぎわいを創出して商店街を活性化して~とか、よく耳にしますよね。
要は「人を集めてまちを元気にしよう」ということです。
しかし車社会はコレを真っ向からぶち壊しました。
誰だって近くを車がビュンビュン通る場所にはいたくないですよね。
車って確かに便利です。
運転だけ気をつけていればそれなりに安全ですし、個室空間は温度も一定で本当に快適です。
しかし一点気にしてほしいのは、車はプライベート空間を必要以上に専有してしまうということ。
公共空間に車でいるということは、公共空間の一部を削り取ってしまっているんです。
コインパーキングが良い例ですが、都市部という公共空間を車社会が野放しに侵食した結果、にぎわいが分断され、公共空間が虫食い状態の中途半端な街になってしまいました。
話はそれますが想像してみてください。
飲み会で一人ひとりが離れて座っても盛り上がりに欠けるとおもいませんか?
個室居酒屋で狙っているあの子とチョメチョメ(笑)したいと思っても、1m離れてたらなかなか手が出しづらいですよね?
私たちが思っている以上に人との距離感って大事です。
お酒の席の話ばかりになってしまい恐縮ですが、盛り上がるかどうかの話で言えば、盛り上がってくれた方が経済的には絶対にプラスです。
飲み会が長引いて一品でも注文してくれた方が、盛り上がってそのままホテルに直行してくれた方が、何ならそのまま子作りに励んでくれた方が絶対にプラスなんです。
例えは不純ですが、経済が回るってつまりはそういうことだと思います。
一人ひとりが自室に閉じこもってシコシコ衣食住だけしてても経済は好転しません。
都会はそれが実現していますよね。
なぜなら人が密集しているから。いたってシンプルです。
都市計画課は仕事しろ
さて、前章で「よく言うわ」と言ったのは、本来こういった事態を招かないよう行政が働きかけなければならないと思うからです。
つまりは都市計画。
突然ですが、久しぶりに田舎に里帰りした人は一度でもこう感じたことはないでしょうか?
「こんなところにも家ができちゃった」と。
いま地方では戸建住宅が別の意味で広がっています。
それは農地転用をしたり、広い敷地を細分化して分譲地にしたり、あの手この手で家を建て、昔では考えられなかったような場所にまで家が建てられています。
そして人々の居住範囲ばかりがどんどん広がっていき、結果として街の中心がどこかもわからない状態になってしまっています。
東京なんかの満員電車は私でも異常だと思いますが、それでもある程度の中心街は決めておかなければなりません。
都市計画と聞くと難しく感じるかもしれませんが、要は「住宅はこの範囲で、工場はこの地域でしか作ってはいけません。」的なことをどの地域でも制定しています。
街の都市計画課に行けばすぐ見せてもらえますし、最近ではネットでも公開されています。
しかし、いまはこの規制がユルユルです。
仮に都市計画で定められても、申請すれば割りとどうとでもなってしまうクソ制度です。
だから家もあちこちに乱立するし、空き地は何のにぎわいも生み出さないコインパーキングに変貌していきます。
ここまで行政を避難するのは、個人や民間企業に街全体をどうこうしようなんていう影響力は正直持てないと思うからです。
民間では対処しきれない問題だからこそ、行政が長期的な視点で決めなければならないと思うのですが…
いまの地方の惨状を見れば彼らが真面目に仕事してたかどうかなんて一発で判断できますね。
私たちにできること
まだ私にもわかりません。
ちっぽけな私たちに出来ることなんてもしかしたら無いのかもしれません。
タイムリーなことにちょうど選挙が始まっていますが、各政党の公約を見る限り期待はできませんね。
小池ファーストの公約に「車ゼロ」がなかった時点で私の選挙は終わりました。
おわりに
いつもご覧になっていだたきありがとうございます。
かなり偏った記事になってしまいました。
あまりにも独善的で、私が逆の立場から見たら吐き気を催してしまいそうです。笑
突っ込みどころも満載ですが、それでも大筋は間違ってはいないと信じています。
地方に住む一員として、なんとかしたいと思う気持ちばかりが募っていく今日このごろ。
解決に向けて動き出せないところが何とも歯がゆいな~…
それでは。